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 島倉千代子肝臓がんで死去…彼女の経歴が人生いろいろ過ぎる本日11月8日、ベテラン歌手の島倉千代子さんが肝臓がんのため亡くなりました。 75歳でした。

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東京だョおっ母さん」「人生いろいろ」などのヒット曲で知られる、歌手の島倉千代子(しまくら・ちよこ)さんが8日午後0時30分、肝臓がんのため都内の病院で死去した。75歳だった。東京都出身。 3月30日の誕生日にイベントを行い、元気な姿を見せていたが、帰らぬ人となった。 島倉さんは1938年(昭13)生まれ。53年、日本音楽高等学校へ入学後、歌謡コンクールに積極的に出場し、翌年コロムビア全国歌謡コンクールで優勝。同社と専属契約を結び、55年にデビュー。デビュー曲「この世の花」が同名の映画の主題歌となり、大ヒットとなり、一躍人気歌手となった。 57年、「東京だョおっ母さん」がさらに大ヒット。映画化もされ、自ら主演で銀幕に登場した。この年初めてNHK紅白歌合戦に初出場した。 のちにプロ野球阪神の藤本勝巳選手と結婚。30年連続紅白出場など歌手として充実した日々を送ったが、私生活では離婚や借金の保証人になり、多額の負債を抱えて苦労した。 80年代に「人生いろいろ」が大ヒットし、ものまねタレントがこれをアレンジし、若者にも人気を博した。 93年に初期の乳がんが見つかり治療。99年には紫綬褒章を受章した。

島倉千代子さん死去 75歳 30年連続「紅白」出場 - スポニチアネックス

肝臓がんを罹患していたことは公表されていなかったようです。 肝臓がんの発症に気がついたのは3年前。 その後、入退院を繰り返しながら2011年2月と8月、2012年5月の3度手術されていたそうです。 本人のブログでは微塵もそんなことは感じませんでしたが、近年は生きることに対する喜びについて綴られる事が多く、亡くなる直前まで充実した生活を送られていたようです。 今月6日、 体調が思わしくない彼女はスタッフを呼び出します。 そして同8日に容態が悪化、そのまま息を引き取りました。 彼女自身、自分の死期を悟っていた節があり、自分の葬儀についての希望を話していたそうです。   1987年にリリースした「人生いろいろ」がこの年から翌年に掛けて大ヒットし、後に彼女の代表曲として語られるようになりましたが、彼女自身の波乱万丈に満ちた人生がオーバーラップしたこともヒットの一因だったのかもしれません。 今回は、そんな彼女の人生の経歴を振り返ってみようと思います。

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島倉千代子の人生

1983年3月3日 東京都品川区で二男四女の四女として生まれる。生まれたときは未熟児だった。
1945年(7歳) 太平洋戦争のため長野へ疎開。 井戸から水を運ぶ途中に転倒、水の入ったビンを割り左手首から肘までを損傷。切断は免れたが、感覚も無く、動かすことも出来なくなる。(後にリハビリによりある程度は動かせるまでに回復)
1947年(9歳) 慕っていた姉・敏子は歌唱力があったが小児麻痺を患い歌手にはなれなかった為、自分が歌手になることを決意。敏子により声楽を学び、近所の「若旦那楽団」に入学。
1950年(12歳) 童謡「お山のお猿」リリース。ただし誤植により「戸倉千代子」名義となってしまったため、「島倉千代子」のデビュー作とはならなかった。
1955年(16歳) 本名「島倉千代子」として「この世の花」で歌手デビュー。デビュー曲にしてダブルミリオン達成。 ここから10年程、今で言うアイドルの様な位置づけで活動を続ける。
1957年(19歳) 「東京だョおっ母さん」が150万枚の大ヒット 。
1958年(20歳) 東京高輪に一戸建てを購入 。
1959年(21歳) 舞台過多から突然声が出なくなり一週間程失踪。
1960年(22歳) NHK紅白の初の紅組トリを務める。
1961年(23歳) ファンの投げたテープが目に当たって失明寸前となる。
1963年(25歳) 父・寿雄が他界。 周囲の反対を押し切り元阪神タイガースの藤本勝巳と結婚。 結婚前後に3度の中絶 。
1968年(30歳) 離婚。
1972年(34歳) 母・ナカが他界 。
1975年(37歳) 知人に頼まれ実印を貸してしまう。知人の借金保証人とされた他、マネージャーや全くの他人にまで保証人にされ、彼らは行方を暗ましてしまう。結果、16億円の借金を抱えることとなる 。
1977年(39歳) 愛人の眼科医・守屋義人の借金の連帯保証人になり、2億4000万円の債務を負う。(守屋は蒸発してしまう。) 借金の返済の為、写真集の発売やキャバレーへの出演なども行う。 7年で完済。
1988年(50歳) 姉・敏子が投身自殺 。
1993年(55歳) 左胸にシコリを感じ検査をすると乳癌が発覚。
2007年(69歳) 知人に資産を奪われ再び多額の借金を抱える 。
2009年(71歳) 歌手生活55周年を迎える。
2013年(75歳) 肝臓がんにより死去。

デビュー曲でダブルミリオン・紅白30年連続、計35回出場・20億近い借金を7年で返済(その際細木数子らの助力もあったようですが)・リリース曲は2000曲近く、全てを把握している者がいない等、尋常でない経歴を多く持ちます。 75歳にしてなお、コンサートを続けておられたというのも驚きです。 彼女は間違いなく美空ひばりさんらに並ぶ、日本歌謡曲界の”偉人”でした。 長い間お疲れ様でした。 心よりご冥福をお祈り申し上げます。


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