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 やしきたかじん逝去:著名人らの反応まとめ

「やしきたかじんさん死去」

2014年1月7日夜に流れたこの速報によって、日本中、とりわけ関西地方の人々に大きな衝撃が走りました。

やしきたかじんさんと言えば、関西では「ミスター大阪」の異名を持ち、明石家さんまさん、タモリさん、島田紳助さん、みのもんたさんら大御所と共に名を連ねる名司会者として認知されていました。
(大の関東嫌いで、関東地方で自身の番組が流れることを頑な拒んでいた為関東での知名度はいまいち高くなかったようですが・・・)

それが一昨年初めに食道がんを罹っていることを明かした後、芸能活動を休止し、翌年3月に一度は復帰するものの、同年5月に再度の休止を発表します。

その後半年以上に渡って闘病を続けるも、今月3日、抗癌剤の副作用なのか心不全で亡くなられたそうです。
享年64歳でした。

今回はそんなやしきたかじんさんの死を悼む、著名人らの反応をまとめます。

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著名人らの反応

安倍首相

安倍首相は「たかじんのそこまで言って委員会」(読売テレビ)に出演したことがあり、昨年も2度、現職の総理大臣として登場するなど、たかじんさんと親交が深かった。

「人には出会いと別れが有ります。初めて やしきたかじんさんとお目にかかったのは私が幹事長の時でした」と振り返った安倍首相は、「その際『いつか一緒に温泉に入ろう』と約束し、それが実現したのは総理の職を辞した後でした」と思い出話を披露。「政治的に尾羽打ち枯らした状況の私を誘って頂いたのはたかじんさんの気遣いだったと思います」

安倍首相がたかじんさん追悼「本当に悲しい」-東スポWeb

太平サブロー

たかじんさんとは、サブローが漫才ブームで人気絶頂だった約30年前からの旧知の仲。
「僕にとって夜の北新地のインストラクターでもあった。クラブに入ると長くても20分、『水割りが出てくるのが遅い』と15秒で店を出ることもあった。『芸人は自分のカネで飲んで栄養にするんや』と。でも本当はとても繊細な人で、見限られないために豪快さでカバーしてたのだと思う」

サブローは26年前にコンビで強引に独立したことで一時芸能界から干されていたが、吉本復帰に一役買って出たのもたかじんさんだった。

「僕を中村(秀雄)会長のところまで引っ張っていって、一緒に土下座をして『こいつを戻らせてくんなはれ、何かあったら僕が責任取るさかい』と。パワーで押し切ってくれたんですが、すごい気持ちのある人でした」

芸人人生の恩人の死にサブローは「まだ消化できない。やってほしいことはまだまだあったけど、現世を卒業して次のステップにいきはったんやと思う」と故人をしのんだ。

太平サブロー吉本復帰の裏に「たかじんさん土下座」-東スポWeb

橋下徹大阪市長

「38歳で知事に当選できるなんていうのは、たかじんさんの番組で顔と名前を広く知ってもらっていたから。それだけで当選したようなもんですから。その際にも『仮に2期やっても46歳なんだから。やれるならやった方がいい』とたかじんさんも自分の人生を振り返りながら話してくれて立候補した」

(中略)

死去したたかじんさんに手を合わせたかと問われると「差し控えさしてください」と話すにとどまったが、対面していた可能性が高い。

普段は理路整然と話す橋下氏が、この日は時系列や記憶があいまいになるなど動揺を隠し切れなかった。たかじんさんの好きなところを問われると「優しいです…。強いですし…」と言葉を詰まらせ、もし会えるなら話したいことはとの質問には「いろいろありすぎます」と目頭を押さえた。

「非常に残念ですね。お元気になられるということを、ずっと願っていました。ご冥福をお祈りいたしたいと思います」と橋下氏は故人をしのび大粒の涙を流した。

橋下徹氏 涙流したかじんさんとの思い出語る – 東スポWeb

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北野誠

たかじんさんは知人の葬式には一切出ないポリシーを持っていたが、北野の父親の葬儀にはわざわざ足を運び、残された母親のことを気にかけていたという。

北野は「お菓子を持って『元気か?』とオカンに会いに来てくれたり、一緒に自宅で飯も食べてくれた。あんなに優しい人いません」と回想。

北野が2009年に“舌禍事件”を起こし、謹慎を余儀なくされた時も、背中を押してくれた。

「謝罪会見後、2週間くらいたった時にたかじんさんから『俺に話せることがあるんやったら、話に来ぃへんか』とメールがあって、その時に初めて(事情を)話した。そしたら『どうせヒマやろ。だったら俺のコンサート見に来て、勉強し直せ!』と言われた。いろいろ面倒もみてくれた」

訃報を知った7日には号泣したというが、この日のラジオでは最後まで涙を流さず気丈に振る舞った北野。「なぜか還暦になって、本人はこの曲を封印した」というたかじんさんの「あんた」を流して、故人を追悼した。

北野誠 謹慎中に背中押してくれたたかじんさん – 東スポWeb

トミーズ雅

「突然でビックリしている。24歳で初めて会って自分の芸人人生で影響を与えている1位の人。本一冊書けるぐらい、いっぱい思い出がある。恐ろしいくらいおもしろい人」

(中略)

「6階建て雑居ビル1フロアに3店舗あるところを『上から攻めるぞマサ』と言い、上から順番にビール2本とチェックを18回繰り返し、『これが芸の肥やしや、おもろい人間になるんやったらこれくらいせい』と言っていた」

(中略)

また、たかじんさんから「芸人は自分からお金を生んでるのではない。金魚なんや、世間からのエサがなければ生きていけない。世間の人がお金を払ってくれるから俺らが生きていける。そのお金をためてはいけない。そのお金は使って、世間の人がホッとするような泳ぎ方をする、それが生きざまや、生きざまをちゃんとしなさい。テレビに出てないところでも芸人らしく生きなさい」との教えをもらったという。

さらに「24〜38歳まで、ずっと離れずにいたが、38歳の時に離れた。離れないと、たかじんさんの横ばっかりになる。自分の責任を持った番組を持ちたいと思った。なので、38〜54歳の間はテレビに一緒に映っていない。そんなに世話になったら、『顔出せや』と言われるところだが、一切言ってこない。一本立ちしたのだから好きなように生きなさいと言ってくれた」と優しさあふれるたかじんさんの一面を語った。

「そんなに悪かったのだったら一度くらい行った方がよかったのかと悔いが残ります。大阪の宝です。テレビで言えないことはたくさんあります。お兄さん、何年かしたら僕も行きますわ」

トミーズ雅が明かすたかじんさんの優しい一面 – 東スポWeb

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